石巻中学校「学び舎」の生い立ち

石巻中学校 前校長 横澤昌憲

「学び舎」。誰にとっても非常に懐かしいものがあります。校舎が新築された時でさえ,自分が学校生活を送った校舎がなくなるというだけでさびしさが募ります。ましてや統廃合等で母校がなくなるときなどは…。今回は,本校の教育活動を記録した「石巻中学校沿革誌」と「石巻の歴史」から,石巻中学校校舎の変遷について紹介させていただきます。
まずは,石巻中学校沿革誌の最初の数行を記します。

昭和22年4月 1日 新学制実施第1年度に入る
4月22日 石巻小学校講堂に於いて開校式並びに入学式挙行
4月23日 石巻小学校より旧北校舎6教室借用,授業開始
1・2年2部授業,3年1部授業

1年生4学級214名,2年生3学級126名,3年生2学級55名の在籍で,1年生などは1学級50数名という超過密状態でした。また,住吉中,湊中も石巻小を借りての授業でした(湊中は,その後湊地区に一旦戻りました)。学校はあっても校舎はないという状況での出発,生徒も教職員も大変だったと推測されます。なお,開校式が行われた4月22日が開校記念日となっています。

昭和22年に現在の中学校制度が始まりましたが,石巻市は,石巻中,住吉中,門脇中,湊中の4つの中学校でスタートしました(現在は市町合併後,統廃合を経て20校になっています)。この4校が市内の“伝統校”と呼ばれるゆえんです。終戦直後の地方自治体は財政が窮乏し,新規の中学校校舎の建築は困難を極めました。当時の石巻市も同じようで,まずは「4校を1か所に集めて…」ということで校舎が建てられたのではないかと思われます。その場所が現在の石巻中,使用開始は昭和23年9月でした。では,「校舎(「南鰐山校舎」と言われていたようです)を最初に使用したのは…?」。「石巻中!」と言いたいところですが,湊地区から移ってきた湊中でした。そして,昭和24年1月には住吉中も南鰐山校舎に移り,授業が開始されたのです。それでは,「石巻中はいつ?」。全学年が現在の場所で授業を行えるようになるのは,ずっと先まで待たなければなりませんでした。

昭和25年4月になって現在の門脇中の場所に新校舎(「南鰐山下段校舎」と言われていたようです)が完成し,ここに石巻小からの石巻中と門脇中が移ってきました。門脇中は現在の石巻高校の場所で,旧制石巻中学校(現在の石巻高)と石巻商業学校(現在の石商高,ご年配の方ならば石巻高と並んで在ったことはご承知のことと思います)の教室を借りて授業を行っていたのです。石巻中が移ってきたといっても,生徒数と教室数との関係で,残念ながら2・3年生のみでした。1年生は石巻小校舎での授業を続けざるを得なかったのです。

昭和27年になると湊地区に新校舎が完成し,9月に湊中の生徒が戻っていきました。そのため,南鰐山校舎に空きができ,石巻小で勉強していた1年生が2・3年生より一足先に南鰐山校舎に移ることができたのです。

沿革誌には,「10月14日 1年 小学校借用校舎より現校舎に移転」と書かれています。もちろん,前からいた住吉中生との同居です。昭和30年に入ると,住吉地区に新校舎が完成し,住吉中の生徒も戻っていきました。
それによって,最終的に昭和33年8月,2・3年生が南鰐山下段校舎から南鰐山校舎に移ることができたのです。沿革誌には,「8月9日 現校舎に全学年移転 独立校舎を有す」とあります。石巻中は開校して11年4か月後にこの地に腰を下ろすことができたのです。長い道のりでした。

その後,南鰐山校舎(石中木造校舎)は,昭和45年から改築が始まり昭和48年4月に現在の4階建て校舎が落成しました。屋内体育館は,昭和49年3月に完成しています。東京石中会には,このような歴史的瞬間に石中生であった方もいらっしゃるのではないでしょうか。数えてみれば南鰐山校舎は20数年でしたが,現在の校舎と体育館は40年以上の歴史をもつことになります。大分老朽化し,昨年から今年にかけては耐震工事が行われました。工事中は,校庭の門中側にプレハブが建てられ,10か月間生活をしました。

石中の校舎は昭和22年から現在まで,各地,各場面で活躍している数多くの先輩方を輩出してきました。今年も,その卵たち115名を送り出しました。総勢で18,159名にも達します。私事ではありますが,縁あってか教職人生の3分の1を石中で過ごすことになりました。自分自身も現在の校舎に強い愛着を感じざるを得ません。

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