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    「まだ見ぬまちへ~石巻・小さなコミュニティの物語~」特別披露上映会のご案内

    震災後に門脇小学校映画二部作『津波のあとの時間割』『3月11日を生きて』を発表した、青池憲司監督の石巻映画第3作の特別披露上映会が開催されます。

    【タイトル】
    「まだ見ぬまちへ~石巻・小さなコミュニティの物語」

    【映画内容】
    震災前のこの地域にはどんな暮しがあ ったのか。住民が語る〝わがまち〞の記憶。
    地震と津波で壊滅的な被害を受けた、石巻市門脇・南浜・雲雀野地区の「人とコミュニティの再生」を6年半にわたって撮影した長篇ドキュメンタリー映画。

    【日時】
    ●11月18日(土)
    昼の部 13:30開会(13:00開場、14:30~17:00映画上映)(定員60名・先着順)
    夜の部 18:00開会(17:30開場、18:15~20:40映画上映)(定員60名・先着順)
    ●11月19日(日)
    昼の部 13:30開会(13:00開場、13:45~16:10映画上映)(定員60名・先着順)

    【会場】
    かほくホール【入場無料】
    石巻市千石町4-42 (駐車場はありません)

    詳細は下記チラシをダウンロードし、参照してください。

    チラシ

    首都圏で石巻出身者が経営しているお店紹介「天ぷら杜月(上野)」

    首都圏で石巻出身者が経営しているお店紹介
    天ぷら杜月(上野)

    首都圏で石巻出身者が経営しているお店紹介「イル・マッジョ(新橋)」

    首都圏で石巻出身者が経営しているお店紹介
    イル・マッジョ(新橋)

    【石巻圏OB・OGの紹介】フルート奏者三浦南さん(57回生)

    首都圏で活躍する石中OB・OG紹介
    フルート奏者 三浦南さん(57回生)

    【石巻圏OB・OGの紹介】オペラ歌手(ソプラノ)三浦梓さん(59回生)

    首都圏で活躍する石中OB・OG紹介
    オペラ歌手(ソプラノ) 三浦梓さん(59回生)

    【石巻圏OB・OGの紹介】役者・声優 小松準弥さん(62回生)

    首都圏で活躍する石中OB・OG紹介
    役者・声優 小松準弥さん(62回生)

    お得な石巻市ふるさと納税のお誘い

    石巻中学校「学び舎」の生い立ち

    石巻中学校 前校長 横澤昌憲

    「学び舎」。誰にとっても非常に懐かしいものがあります。校舎が新築された時でさえ,自分が学校生活を送った校舎がなくなるというだけでさびしさが募ります。ましてや統廃合等で母校がなくなるときなどは…。今回は,本校の教育活動を記録した「石巻中学校沿革誌」と「石巻の歴史」から,石巻中学校校舎の変遷について紹介させていただきます。
    まずは,石巻中学校沿革誌の最初の数行を記します。

    昭和22年4月 1日 新学制実施第1年度に入る
    4月22日 石巻小学校講堂に於いて開校式並びに入学式挙行
    4月23日 石巻小学校より旧北校舎6教室借用,授業開始
    1・2年2部授業,3年1部授業

    1年生4学級214名,2年生3学級126名,3年生2学級55名の在籍で,1年生などは1学級50数名という超過密状態でした。また,住吉中,湊中も石巻小を借りての授業でした(湊中は,その後湊地区に一旦戻りました)。学校はあっても校舎はないという状況での出発,生徒も教職員も大変だったと推測されます。なお,開校式が行われた4月22日が開校記念日となっています。

    昭和22年に現在の中学校制度が始まりましたが,石巻市は,石巻中,住吉中,門脇中,湊中の4つの中学校でスタートしました(現在は市町合併後,統廃合を経て20校になっています)。この4校が市内の“伝統校”と呼ばれるゆえんです。終戦直後の地方自治体は財政が窮乏し,新規の中学校校舎の建築は困難を極めました。当時の石巻市も同じようで,まずは「4校を1か所に集めて…」ということで校舎が建てられたのではないかと思われます。その場所が現在の石巻中,使用開始は昭和23年9月でした。では,「校舎(「南鰐山校舎」と言われていたようです)を最初に使用したのは…?」。「石巻中!」と言いたいところですが,湊地区から移ってきた湊中でした。そして,昭和24年1月には住吉中も南鰐山校舎に移り,授業が開始されたのです。それでは,「石巻中はいつ?」。全学年が現在の場所で授業を行えるようになるのは,ずっと先まで待たなければなりませんでした。

    昭和25年4月になって現在の門脇中の場所に新校舎(「南鰐山下段校舎」と言われていたようです)が完成し,ここに石巻小からの石巻中と門脇中が移ってきました。門脇中は現在の石巻高校の場所で,旧制石巻中学校(現在の石巻高)と石巻商業学校(現在の石商高,ご年配の方ならば石巻高と並んで在ったことはご承知のことと思います)の教室を借りて授業を行っていたのです。石巻中が移ってきたといっても,生徒数と教室数との関係で,残念ながら2・3年生のみでした。1年生は石巻小校舎での授業を続けざるを得なかったのです。

    昭和27年になると湊地区に新校舎が完成し,9月に湊中の生徒が戻っていきました。そのため,南鰐山校舎に空きができ,石巻小で勉強していた1年生が2・3年生より一足先に南鰐山校舎に移ることができたのです。

    沿革誌には,「10月14日 1年 小学校借用校舎より現校舎に移転」と書かれています。もちろん,前からいた住吉中生との同居です。昭和30年に入ると,住吉地区に新校舎が完成し,住吉中の生徒も戻っていきました。
    それによって,最終的に昭和33年8月,2・3年生が南鰐山下段校舎から南鰐山校舎に移ることができたのです。沿革誌には,「8月9日 現校舎に全学年移転 独立校舎を有す」とあります。石巻中は開校して11年4か月後にこの地に腰を下ろすことができたのです。長い道のりでした。

    その後,南鰐山校舎(石中木造校舎)は,昭和45年から改築が始まり昭和48年4月に現在の4階建て校舎が落成しました。屋内体育館は,昭和49年3月に完成しています。東京石中会には,このような歴史的瞬間に石中生であった方もいらっしゃるのではないでしょうか。数えてみれば南鰐山校舎は20数年でしたが,現在の校舎と体育館は40年以上の歴史をもつことになります。大分老朽化し,昨年から今年にかけては耐震工事が行われました。工事中は,校庭の門中側にプレハブが建てられ,10か月間生活をしました。

    石中の校舎は昭和22年から現在まで,各地,各場面で活躍している数多くの先輩方を輩出してきました。今年も,その卵たち115名を送り出しました。総勢で18,159名にも達します。私事ではありますが,縁あってか教職人生の3分の1を石中で過ごすことになりました。自分自身も現在の校舎に強い愛着を感じざるを得ません。

    懐かしい!!久々に「石巻中学校会同窓生の集い」を開催!! ~平成27年3月30日( 月) in 石巻グランドホテル~ 天翔の間

    平成26年度(2014年度)石巻中学校トピックスニュース

    1 工夫と充実が見られた学校行事
    ① 大運動会 テーマ「BURING HEART ~燃やせ我らの闘志~」
    仮設校舎が校庭に建設されたことで、狭くなった校庭で例年通り大運動会が開催され
    ました。(8/31)
    ② 群鷗祭 テーマ「華麗 ~300の華たちよ 永久に咲き華麗に舞え~」
    今年は学年によるステージ発表や映像を駆使した実行委員会企画などこれまで以上に
    多彩で華やかな行事となりました。(10/18)

    2 水泳競技・陸上競技で東北大会出場
    3年生の柴田峻徳君が水泳男子バタフライで県大会、東北大会で次のとおり入賞
    を果たしました。
    ・100mバタフライ 県大会(7/22)2位 東北大会(8/11)8位
    ・200mバタフライ 県大会(7/22)3位 東北大会(8/11)6位
    また、1年生の佐藤舞彩さんが陸上1年女子100mで県大会(7/22)
    4位に入賞し、東北大会(8/8)に出場しました。

    3 体育館の緞帳(ステージ幕)と校章モニュメントの新調
    老朽化していた緞帳と校章のモニュメントを市の予算で新調しました。
    ※緞帳(10/13) 校章(9月)

    4 PTAいじめ標語コンクールで文部科学大臣賞
    (全国1位)を受賞
    2年生の守陽加さんの作品が全国から約40万通を超える応募作品の中から中学生の部で第1位となりました。(決定通知2月下旬 表彰式3/27)
    「助け合ったあの震災 思い出そう 友達っていいな」

    5 各方面から支援と交流
    ① 卒業生の井上さんより吹奏楽部へ楽器購入の支援
    現在読売交響楽団で活躍されている井上俊次さん(石中33回生)から、吹奏楽部の楽器購入費として25万円の支援をいただきました。(10/28)
    ② 松山市立内宮中学校生徒会との交流活動
    震災後、様々な支援をいただいている内宮中学校の先生と生徒が来校し、本校の生徒と交流活動を行いました。(7/28)
    ③ 「石中心得」のパネル設置
    石巻市健全育成市民会議からの支援で、生徒昇降口の上部に「石中心得」のパネルを設置しました。(1/21)

    復興まちつぐり情報交流館中央館(石巻復興情報館) オープン


     震災の風化防止と復興事業の進行状況や将来像を発信する「石巻市復興まちづくり情報交流館中央館」が2015年3 月7 日に中央2 丁目(橋通り)にオープンしました。
     館内には地域の様子を伝える写真パネルなどの展示コーナや、市民活動をサポートする交流スペースが用意してあります。隣地には復興マルシェに代わる商業施設の橋通りCOMMON(コモン)が4 月にオープンし、また近くには石巻ニューゼ、つなぐ館などの施設もありますので、石巻へ行かれる際は是非立ち寄ってみてください。
                        浅野 剛(36 回生)

    【石巻圏情報】石巻元気復興センター


    2011年3月11日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市。水産業が活発だった同市は、震災から2年が経過し、市内がある程度の復旧する一方で、津波による被害を大きく受けた海沿いのエリアは今もって復旧の目処が立たない状況が続いている。

    震災直後の4月、その被害の大きさから、事業の継続を判断できずにいた多くの若手経営者・後継者が集まり、復興へ向けての情報交換、地元国会議員との意見交換・要望書の提出が当団体活動の始まりだった。当初は苦しんでいるのは自分だけじゃない。それを感じるだけでも心が救われた。

    毎月集まりながら情報交換をし、また時には専門家を招いての勉強会、そして国の助成金申請への準備作業や各種補助策の勉強など必要な情報収集を積極的にした。

    そんな中、復興業種とそうでない業種、被害規模の大小、インフラ整備の違い等で、復興に少しづつ差がでてきました。

    そこで、一番復興が遅れていて、石巻の基幹産業である加工業の復興に力をそそぐべく、2011年12月に社団法人石巻元気復興センターを設立し、各社の商品の詰合わせセットを主に販売を開始し、現在は各種展示会・商談会への協働での積極参加や販路拡大の支援事業を各社協力しあいながら進めているところです。

    具体的な事業としては、日本各地の復興イベント等での支援販売の窓口業務や百貨店、イベントへの出張販売業務、各種商談会への参加、石巻まちなか復興マルシェ(復興商店街)への出店、新商品の共同開発などをおこなっています。

    その被害の大きさから、まだまだ先は見えませんが、前を向いて協力しあいながら、一歩一歩進んで参りますので、今後とも皆様のご支援を宜しくお願いいたします。

    社団法人石巻元気復興センター 代表理事 松本俊彦

    【首都圏情報】「石巻復興プロジェクト」の活動紹介

    石巻を夢のある街に!

    復旧ではなく、復興を。お金ではなく、仕事を。

    石巻をそんな将来・夢のある街、応援したくなる街にしたい。
    そんな想いを持った有志の集まりが石巻復興プロジェクトです。

    石巻復興プロジェクトの8割のメンバーが石巻市外で日頃は生活をしながらも、
    「被災地以外に住みながら石巻のためにできること」を考え実践しています。

    代表の花田寛明(石巻市出身)も本業を別に抱えながら、石巻復興プロジェクトを切り盛りしていくために日々奔走しています。

    私たちの主な活動は①イベント企画・出店②石巻アンテナショップ「石巻マルシェ」運営です。
    東京・横浜を中心とした各種イベントへの「石巻焼きそば」の出店や石巻特産品の販売を通して、できるだけ多くの方に“石巻”というワードを良い経験と共に届け、石巻を知ってもらえるように努めております。

    また、大田区大森駅西口のウィロード山王商店街では、石巻のアンテナショップ「石巻マルシェ」が2011年の11月にオープンしました。
    毎週土曜日に開催されており、石巻から直送されるたくさんの商品が集められ、東京における石巻への復興支援に関するヒト・モノ・カネ・情報が繋がる拠点になっています。

    石巻出身者やその家族を中心としたメンバーが、ボランティアで和気あいあいと、石巻自慢の商品(味噌や鯨の缶詰、ほやなど)を事業者の想いを伝えながら販売しています。
    継続して1年以上も毎週土曜日には石巻マルシェが開いていることで、地域の方にも石巻の商品のリピーターになって頂き、商店街活性化の一助となっていることは、私たちの大きな財産であります。

    一方で、震災から2年が過ぎNews報道も減り、震災の風化という問題があります。
    石巻復興プロジェクトも震災前の写真展開催など、新たなことにチャレンジしていくので是非一度、石巻マルシェに足をお運び下さい!詳しくは→http://reishinomaki.net/

    【首都圏情報】石巻生産者団体「一般社団法人 希望の環」

    首都圏を中心に復興支援活動を継続

    宮城県石巻市の生産者団体「一般社団法人 希望の環」。
    石巻の主要産業である水産加工業などの生産者たちが力を合わせ、復興を目指し生産、販売活動を行っております。

    販売機会の多い首都圏などで、神社仏閣・商店街・駅ナカなどのイベントで販売会を行ったり、地元の女性の雇用促進のために、詰め合わせセットを通販や、企業でのノベルティに利用いただくなどの、拡販活動を行っています。

    また、4月5日には首都圏における石巻復興支援活動の報告を兼ねて、亀山石巻市長を表敬訪問してまいりました。
    活動の詳細はHPをご覧ください。

    http://kibounowa.jp/

    JR東京駅

    西新井大師

    靖国神社

    (左から)
    「希望の環」代表理事:高砂長寿味噌の高砂社長
    亀山石巻市長
    「希望の環」専務理事:生産者直売のれん会の黒川社長

     

     

     

     

     

     

    【石巻圏OB・OGの紹介】テノール歌手・渡邉公威(42回生)


    私は、現在オペラ団体「二期会」に所属し、
    声楽家(テノール)として活動しております。

    クラシックやオペラなど、なかなか敷居が高いと思われている方も多いかもしれませんね。
    最近はそんな方々にも音楽に親しんでもらおうと、トーク付きのコンサートも始めました。
    そもそも音楽でやっていく!と心に決めたのは、石中時代を通して入っていた吹奏楽部での毎日でした。
    私は体がデカいという理由で、チューバという金管楽器で一番大きな楽器を任されました。

    本当はサックスとかトランペットとか、かっこいい楽器をやりたかったのですが・・・(笑)。

    でも良き先生、先輩、友人に恵まれ、部活は予想外に楽しいものになりました。
    勉強そっちのけで音楽にのめりこむ内、いつしか音楽を一生の仕事にできればと、その頃ごく自然に思い始めていました。そんな石中時代でした。

    そんな僕が歌に開眼したのは、石高時代、当時の三大テノールの一人、ルチアーノ・パヴァロッティ氏の歌を聴いた時でした。
    力強く、それでいて甘く、イタリアの太陽のような声。夢中になりました。
    国立音楽大学で学んだ後は、プロの声楽家として活動する中、文化庁の在外研究員としてローマに留学する経験もさせて頂きました。
    そして帰国して日本での活動を再開した数年後、あの日が来ました。震災でした。

    幸いにして家族や家屋は無事でしたが、とても辛く悲しい経験もしました。
    自分の無力さに、一切の気力を失いかけましたが、自分に出来るのは歌、歌で故郷を元気にしたいと思い立ち、本来の演奏活動とは別に、首都圏でのチャリティコンサート、その義援金による石巻での無料コンサートを始めました。

    微力ながら、東京と石巻を音楽の力で結びつけたいと思っています。
    いつかきっと故郷は復興する!そう信じて、これからも歌い続けたいと思います。

    【公式サイト】
    http://grandetenorekoi.wix.com/koi-watanabe

    【公式ブログ】
    http://blogs.yahoo.co.jp/grandetenorekoi

    【石巻圏OB・OGの紹介】ジャズトランペッター伊勢秀一郎(24回生)

    夢を実現したジャズトランペット奏者。いまふるさと石巻への思い。

    私は、石中に昭和43年(1968年)入学、昭和46年(1971年)卒業の、伊勢秀一郎と申します。

    住吉小学校出身です。石中に入学した時は、住小時代に、剣道部の試合で対戦した、石小剣道部出身の何人か以外、見る人見る人、知らない人ばかりで、転校生のようでしたが、当時の石中は、
    石小と山下の二つの小学校から寄り集まっていましたから、石小、山小出身の人達も、転校生の気分、半分だったのかもしれません。

    石中には、木造平屋の細長い校舎が二棟(それぞれ一年生、二年生の教室)、木造二階建てが一棟(三年生の教室)あり、教室の窓際の席からは、太平洋が見え、天気の良い日など、青い海がとてもきれいだった事、そして、体育館がありませんでしたので、運動部の練習場は、校庭か、平屋棟の教室、廊下で、私が在籍していた剣道部も、教室の机と椅子を後ろに下げて、毎日練習していた事等を、
    今も懐かしく思い出します。

    私は高校卒業後に上京、ジャズトランペット奏者の道を志し、現在に至っています。

    ここ十数年来、年に一度位のペースで、小、中、高校時代の同級生達のサポートを得て、石巻で演奏をする機会を持つ事ができています。
    今年の二月末にも、石巻の中央一丁目付近の集会所で、演奏して参りました。

    旧市街地は、ご存知のように、震災の被害が甚大で、廃業、休業を余儀無くされている店も多く、商店街の昔の賑わいを知る者にとって、とても寂しい限りです。
    沢山の人が、また行き交う街になれますよう、微力ではありますがま、何かお力になれる事があればと思っています。

    【首都圏情報】金田賢一・被災地とともに―心のふるさと―

    テレビの画面から流れる信じ難い惨状を目にしてから、そして実際に現場に行き何もなくひたすら続く砂浜、石組みだけ残された、おそらく人の営みがそこにあったであろう景色を目の当たりにして言葉が見つからず愕然と立ち尽くしから2年の月日が流れた。

    復興の名の下に多くの人が携わって一日も早い故郷の再生をと努力する日々が続いている。

    しかしそれは破壊のスピードに比べて遥かに遅く歯痒さが募るばかりでしょう。
    そこで私のできることは何か?表現を生業にするものとして作品を通して、被災地の方々の一服の清涼剤に、そして時間の流れで被災地から離れた人々の心から薄れていくあの日のことを起こすきっかけが出来れば良いと思っています。

    阪神淡路大震災から街の姿が立ち直っても人の心の復興が終わっていないことを思えば、東北の街も建物も港もそして人の復興の完了、それと次の災害への備えに例えばどのくらいの高さの、強度の堤防を作れば良いか?先の長い話であろう。しかし人々の生活は休むことが許されない。

    徐々に進む復興に合わせて出来る事を出来るだけ支援して行くこと、それが大切な気がする。
    私の友人などもチョビットフォースなるグループで皆の力や時間を少しずつ合わせて、大きなものにして行こうと活動をし私も非力ながら参加している。

    明日の子供達のために大人は我慢しましょうと言うのも、もう一つ釈然としない。
    未来を託すためは良いのだが、現代を担っている大人はもっと声を上げていって良い。大人が夢や希望が持てれば自ら子供達にも未来がある。
    無理をしてはいけない。無理は長続きしないのである。

    もはや頑張っている人たちに頑張れは耳障りかもしれない。そっと心を寄せているのが良いと思う。
    これからどんなことがあるかは未知であるが、出来るだけ多くの機会に寄り添って行きたいと思っています。人々の心に懐かしいふるさとが戻るまで。

    俳優:金田賢一(朗読三昧のブログ)
    http://blog.goo.ne.jp/zanmai34

    〈プロフィール〉
    芸名:金田賢一(カネダケンイチ)
    職業:俳優
    出身:兵庫県
    ※父は元プロ野球選手・監督の金田正一
    ※金田様は、東日本大震災被災地復興支援のためのチャリティコンサートに出演されたり、朗読をされたりと積極的な支援活動を続けられています。




    【首都圏情報】第3回「かんがるーの会」チャリテイイベントを終えて

    第3回「かんがるーの会」チャリテイイベントを終えて

    東日本大震災より2年が経過し、2013年3月10日に 私達「かんがるーの会」では、沢山の方のお集まりをいただいてふるさとに思いを馳せ チャリテイイベントを行いました。(於:東京医科歯科大学 MD棟26階ラウンジ)

    今年は、第1部 元門脇小学校の校長 鈴木洋子先生の「東日本大震災 -その時 学校はー」で教育者としての立場から経験された大地震・大津波の災害から、小学生達を安全な場所へ避難誘導し、子供たちの保護者へ無事お返しできた時の様子、安堵の気持ちや、常日頃の防災教育の重要性についてご講演いただきました。近隣の被災者の避難所としての機能も果たされるなど大変なご経験に、ただただ頭の下がる思いです。

    続いて、第2部 チェロカルテット「16本の弦の舞踏会」では、
    4人のチェリストによる楽しい音楽や、お話から徐々に和やかな雰囲気になり、本格的なチェロ演奏を聴くことが出来ました。被災された方々は勿論、会場においでいただいた皆様の気持ちを和らげる音楽の力に感動・感動・感動!です。丸山泰雄さま、朝吹元さま、灘尾彩さま、高橋泉さま 本当にありがとうございました。

    3回忌を迎え、なかなか復興も遠く長い道ですが、自分の出来ることをこつこつと継続し、同期の葉良枝さん、渡辺啓子さんとも協力し、長期の支援を続けていきます。今後ともよろしくお願いいたします。
    坂口いく子

    P・S  「かんがるーの会」は
    2011年3月11日の東日本大震災で親を亡くした、ふるさと東北の子供たちを支援することを目的として、石巻圏(石巻市・女川町・東松島市)登米市出身者で立ち上げた会です。カンガルーが袋で子供を守るように、みんなで子供たちをそっと支えるお手伝いができればと考えています。未来ある子供たちのために、今後も支援を続けてまいります。
    kangaroo.no.kai@gmail.com Tel 049-243-9616 (坂口 いく子)

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